三木道三「キミにミキ」

ラッパーが既にある曲の歌詞の一節を自身のラップに織り込む技法のことをサンプリングと呼ぶのを目にすることがある。
流行りの用法なのかヒップホップの世界で長年使われてきた用法なのか分からないが、違和感のある用法だと思う。この場面なら引用という言葉を使えば足りるからだ。

サンプリングは引用の一種であると言って差し支えないと思うが、そうであればサンプリングを引用一般から分ける要素は何なのかと考えてみると、それは引用元と引用先それぞれの作品の間の距離感ではないかと思う。

音楽用語としてのサンプリングは、通常、録音した音源を新たな録音作品またはライブ演奏の中で再生することを指す。
ここで効果的に働くのは、引用元の作品への敬意や批判だったり引用先の作品への接続の上手さだったりではなく、むしろ二つの作品の関係の無さだ。

これは美術でいうところのコラージュと似たものと言って良いだろう。
例えば、ある雑誌から切り抜いた右向きの人の写真と、別の雑誌から切り抜いた左向きの人の写真を、両者が向かい合うようにある風景写真に張り付けるとする。
これらの人物は、受ける光の角度の違いとかパースの狂いとかの理由で、背後の風景から浮いて見えるだろう。また人物同士も、向かい合っているにも関わらず視線が交差しないために奇妙な雰囲気を生み出すだろう。

音楽におけるサンプリングも同じだ。
要はブツ切りの感じがサンプリングの魅力なのだ。

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三木道三のメジャーデビュー前の曲を集めた「三木道三スタイル1995~1998」というベスト盤があり、その中に「キミにミキ」という曲がある。
リーナという女性シンガーが失恋の歌詞を歌うサビと、三木が「気持ちを切り換えて俺と付き合えよ」的な歌詞を歌うバース部を繰り返すシンプルなナンバーだ。

こうして要約すると、リーナと三木がそれぞれ歌う内容はしっかりリンクしているように見えるが、曲を聴いてみると、二人は別の世界線に生きているのではないかというくらいノリが違う。例えるなら「君に届け」の世界観に「グラップラー刃牙」のキャラクターが出てくるような感じだ。
このベスト盤に収録された、同じく女性シンガーであるMAMA COOKとのデュエット曲「いいことあるかも」にはこんな違和感はない。

そのため、てっきり「キミにミキ」はリーナの既存曲からボーカルをサンプリングして別の曲に仕上げたものだと思い込んでいたのだが、先日ユーチューブでこの曲の別バージョンを見つけた。
この別バージョンでは、三木だけでなくリーナのパートもベスト盤のバージョンとは別のテイクが使われている。それだけでなく、リーナの歌うメロディーも歌い回しのニュアンスもベスト盤のバージョンとは違って、三木の歌に寄り添う感じのものになっている。

これはつまり、リーナのパートは別の曲からのサンプリングではなく、そもそもこの曲のために歌われたものだったということだろう。