調源作個展「茶の衣 流浪の露を極点にみる」(2023/12/6~23開催)

会場のWALD ART STUDIOは博多区の千代にある。
今回の作品はその隣町である吉塚の地名の由来となった出来事ーー筑後国の武将星野吉実が現在の福岡県糟屋郡にあたる高鳥居城で討死し、その首が埋葬された場所が吉実塚と呼ばれ、その周辺の地域が「吉塚」と呼ばれるようになったーーをテーマにした作品ということだ。

     *      *      *

メインのオブジェは人の目くらいの高さで部屋の周囲に切れ目なく巡らせたタテ幅50cm程度のパノラマ写真で、写っているのは雑木林と、枝の間から見える空だ(たしか、吉実が討たれた瞬間の視界をイメージしたものと話していた気がする)。
静寂を感じさせるような写真で、死の瞬間という場面から劇的なものを取り除いたらきっとこんな風だろうという感じがする。
死の直前、この後にはどんな情報も入ってこないという瞬間には、取り立てて美しいわけではないはずのものーーたとえば別段特徴的でもない枝葉の生え方などーーが、こんな風に美しく見えるのではないか。

部屋の片隅に岩の形のオブジェがあり、これは吉実が討たれた時に腰かけていた岩を模したものだということだ。そのそばには土が盛られていて、お茶の苗木が植えてある。「吉実は討死したが、彼の子孫は生き残り、お茶を栽培することで現代でも栄えている」というメッセージらしい。
これは美術作品の表現としてはかなり漫画的で、普段の調のハイブローな作風からすると、ずいぶん野暮ったい感じがする。
だが、ここに表現されたメッセージからは、死を思うときに浮かぶ二つの心情が想起されるーー死の瞬間のその次の瞬間には私の意識は途絶えるのだという認識と、残していく人々のその後の暮らしを思いやる気持ちとが。
このように見ると、このオブジェは作品を意味付けるにあたって、表面的なスマートさを犠牲にしてでも必要なものだったのだと思える。

     *      *      *

自らの死後に残される世界への想像力は、家系を重んじる人に特有のものではない。
例えば、生命が滅びた後の荒涼とした世界というイメージにどこかロマンを感じたりする。そのようなイメージには、同じくSF的イメージのタイムマシンなどよりも慰めがあるが、それは「荒涼とした世界」がタイムマシンのような夢物語ではなく、あり得そうな状態だからだろう。

自らの死の後に残されることになる世界には、もはや影響を与えることも、また与えられることもないはずだ。
それでもそこに思いを至らせてしまうということには、時間の捉え方に関する人間の意識の、ある種のエラーがあるように思えるが、仮にそうだとすれば、そのエラーはむしろ人間を人間たらしめる要素だという気がする。